一つの壁になってみる

  2026年となりました。そういえばぐるりにも令和生まれの子どもがいるのかと衝撃を受けている今日この頃。

  今年もどうぞよろしくお願いいたします。

  寒さが厳しくなってきて、屋内を求める子どもが増えた一方、

  絶対に外で遊びたいんだという根強い屋外愛好家が多数残るぐるりミライスクールですが、

  ここ最近の大きな変化をご共有したいと思いコラムを書いています。大きく分けて2つ。

  一つ目は、いろいろと当番をつけてみました。ざっくりいうと、掃除当番と給食当番。
  これまで希望者を募って掃除や給食を行っていましたが、特に掃除に関しては壊滅的でした。笑

  自分たちで持ってきたお菓子のゴミは公園のあちらこちらに吹き荒れていましたが、

  誰も拾おうとすることはなく、大人が日々ゴミ掃除をする毎日。お願いすれば拾ってくれていましたが、

  なぜこちらがお願いせねばならんのだという思いもあり、結局は大人が始末することが多かったです。

  校舎にいたっても、みんなが帰った後のゴミ掃除は厳しいものがありました。
  給食に関しても、開始当初は手伝いたい子どもたちが希望制で給食を作ってくれてたりしましたが、

  それも長くは続かず、小田さんが手料理をふるまう毎日。食べたら食べっぱなし。

  もちろん子どもらしくていいのですが、ぐるりミライスクールは大人が作っているわけではなく、

  子ども自身も自分たちで作っている自分事力を大切にしている部分もあるので、その理想からは程遠いな

  と感じていました。理想を言えば自分たちが挙手性で自分の得意を持ち寄ってこの辺の運営ができれば

  いいのですが、自分の得意もまだ未知数で、何より他に心躍らせて活動していることを

  中断してまでやりたいと思わないのは自然なことかなという共感の想いもあり、

  ここは当番制にして一度、ゴミを拾う側、給食を作る側になってみる仕組みを作ってみたいと

  子どもたちに相談しました。案外子どもたちからは強い批判の言葉はなく、「いいんじゃないの」

  ということだったので、1月から導入しています。

  導入してみてまだ数週間ですが、心なしかみんなが片づけたり、ゴミを出さなくなってきたように思います。

  まだまだ机の上は散らかっていますが笑

  もう少しこのまま様子を見てみようと思います。

  もう一つは、毎日ワーク(学習)について。ぐるりミライスクールは開校当初から大人の間では

  テーマになり続けていた学び、特に学習の部分。結論としては一旦ある程度の強制力を持って

  15分間はみんなで取り組む時間を設けました。
  理由としてはシンプルに教育の場として文字に触れる機会を少しでも作りたかったというぐるりの大人側の

  エゴの部分もありますが、もっと大きな理由としては「一つの壁を作るべきだと思った」ということからです。

  最初はプレイパーク的に始まったこのスクールは子どもたちの成長と共に、多種多様な活動が増えて行きました。

  ただ、参加の最終決定は子どもたちに委ねることは変えませんでしたが、
  このままでいいのだろうかというモヤモヤはいつも胸の中にありました。

  もちろん、大前提自分で選択することの大切さは百も承知なので、その部分はなくしません。

  ただ、全部を選択する過程の中で、「何となくだるいから。」「何となく嫌だから。」と

  明確な答えがない中で取捨選択をしているようにも見えることもありました。これは僕の主観です。

  あとでわかったことですが、僕のモヤモヤの正体は学習に限らずやるやらないって0か100ではないはずなのに、

  全ての選択を子どもたちにゆだねることで、そうなってしまっていることへのモヤモヤだったと思います。

  一つの活動に対して、やるにしても全部100やる子もいるだろうし、50ぐらいが自分のやるかもしれないし、

  20ぐらいが心地いいやるの子どももいるはずなのに、0か100になっているということ。

  だからこそ、あえてみんなでやる時間作るよという、ある意味の強制力を提示することで、自分のやる度合を

  探求してほしい。やる方向性も探求してほしい。こういう方法なら自分もやりたいと思える、
  こういう環境ならやってみてもいいなと思える。そんなことを感じてほしいなと思い、あえて毎日ワークは

  みんなでするよというメッセージを打ち出しました。

  結果としては、まずはやってよかったと思っています。理由としては2つ。

  まずは、これまで拒否してた子どもたちの中から楽しそうに机に向かう子どもが出てきたということ。

  自分を楽しませるツールが増えることは広い世界を見渡すのに大切なことだと改めて思います。

  もう一つは子どもたちからも保護者の皆様からも本当にちょうど同じ数ぐらいの賛否両論のお言葉があったこと。

  これはこのぐるりミライスクールではこれまでになかった強制力というものが、それぞれの思考を巡らし、

  これまで何となく考えていたことが、より深く言語化するキッカケになったのではと思っています。

  子どもたちも、これまでなんとなく拒否してた子どもも、

  どうして嫌なのか、どの程度嫌なのか、逆にどういう形だとやりたいと思えるのかということを、

  みんななりに言語化するようになりました。その言語化が自分の価値観の土台をぶれないものへと変えていく

  と思うので、そういう意味である程度の強制力は負の感情は一時的に生むことはあれど、

  僕は思考を深める大切な機会だったなと思っています。

  今も何となく乗り気ではないけど、みんなの流れに乗ってやっている子どもも少なからずいると思います。

  でもそれでもいいんです。全部が必要なことばかりではなく、やってみて、大人になっていく過程で

  「あの時のあれ、やっぱりいらんかったよな」と思うことも大切な経験であり、紡ぐべき意志。

  逆に「あの時のあれがあったから、今こんなことができているな」と思うことも大切な経験。

  大切な経験にするためにはコンフォートゾーンから少し離れた経験の中で、異質な感情を得た時にこそ、

  人は意味を求めたり、言及したくなるものなので、そんな経験もしてほしいと感じています。

  僕らが言いたいのは我慢して忍耐力をつけてほしいとかそんなことではないです。

  やってみて、考えて、たくさんの経験とたくさんの感情を得てほしい。

  ただ、この形が正解とも全く思っていません。子どもたちの様子を見ながらまた進化していくべき部分は

  見えてきたので、改めて思考を巡らしながら子どもたちと過ごしていけたらと思います。

  今後ともよろしくお願いいたします。

  

                                                荻洋仁